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6度目の五輪へ! 42歳で2時間10分台のモンゴル代表選手は日本在住

2024年7月31日


8月10日行われるパリオリンピックの男子マラソンに出場するモンゴル代表のセルオド・バトオチル選手(42歳)は兵庫県三木市在住。オリンピックは2004年アテネ大会から6大会連続の出場です。42歳でもマラソンを2時間10分で走るバトオチル選手にどんなトレーニングをしているのかインタビューしました。

文/近藤雄二


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42歳でパリ五輪マラソン代表の座を射止めたバトオチル選手は、2004年アテネ五輪から6大会連続出場。世界選手権も03年パリ大会から11大会連続で出場している。13年から日本で生活しているバトオチル選手は、どんなルーツをたどり、その強靱な心身をはぐくんできたのだろうか。


――子どもの頃はどんなスポーツをしてきたのですか。

「小さいころは病弱だったんです。ただ、走ることは好きでした。モンゴルにはランニングクラブはなかったので、学校のグラウンドで走り回っていました。学校から帰って友達と遊ぶ時も、走ってばかりいましたね」

――大会などはなかった。

「ないですね。運動会の時、土の200mトラックだったのですが、6分間で何周走れるかを競いました。それが最初に出たレースで、他の子に半周差をつけて1番になりました」

――他のスポーツは。

「モンゴルでは子どもがスポーツをする機会は多くありません。モンゴル相撲やレスリングが有名です。私も友達とちょっとやったことはありますが、あまり強くはなかったですね」

――本格的に競技を始めたのはいつ頃ですか。

「14歳からです。その頃は1500mが4分30秒、5000mは16分15秒くらい。トラックはアスファルトのような固いものでした。2001年に初めてハーフマラソンを走り、02年に香港で初のフルに挑みました。練習で20kmくらいしか走っていなかったのですが」

――モンゴルでナンバーワンになったのはいつごろですか。

「1998年に北京でアジアの選手が集まる合宿があったのですが、最後にタイムトライアルをやったら2番になりました。99年には中国の万里の長城を一部使った5kmのレースがあって、優勝してカップをもらいました。モンゴル国立体育大生の時でした。大学に入ると警察のクラブで走っていました」

――大学卒業後は。

「1年ほど大学で教員をやったのですが、練習の時間が取れなくて教員は辞めました。その後は警察のクラブで走ることに専念しました」

――コーチはどなたが。

「2005年からは私の奥さんがコーチをしています。彼女はモンゴル国立体育大の1学年上で短距離の選手でした。練習メニューは彼女が作り、2人で話し合ってアレンジしています」

バトオチル選手は08年春、元スズキ陸上部監督の佐藤寿一(故人)さんと北京で出会ったことが転機となった。それまでは前半突っ込み、終盤失速するレースが続いていたが、ペース配分を学んで開眼。08年までは2時間14分台だったマラソンのベストが、10年のベルリンで2時間12分42秒まで伸びた。

「佐藤さんからは『マラソンは30kmが中間点と考え、残り5kmでも余裕を持つように走れ』と言われました。それからペース配分がうまくいくようになり、記録も伸びていきました」

――来日前はずっとモンゴルで練習していたのですか。

「日本に来る前はイギリスで練習していました。12年のロンドンオリンピックに備えるため、09年から3年半ほど妻と一緒に移住しました。妻のお兄さんがイギリスに住んでいて、北部のニューキャッスルでモーペス・ハリアーズというクラブの選手たちと練習しました」

――その後、なぜ日本に来ることを選んだのでしょう。

「モンゴルは冬の天候が非常に厳しくて、10月から氷点下になって真冬は零下30度を下回ることもあります。寒すぎて、まともに練習ができないんです。そこで、練習拠点を探し、日本が1番良かった。日本は7、8月はメチャクチャ暑いけど、冬も寒くなく、他の月は気候が最高ですから」

――日本では実業団のNTNに入りましたね。

「スポーツ用品メーカーを通してチームを探したところ、NTNが受け入れてくれ、三重県の桑名市で練習を始めました。13年6月から合宿に参加し、14年春から入部しました」

バトオチル選手はNTNと合流してから急成長。13年12月の防府読売マラソンでは川内優輝選手との激闘を15秒差で制し、2時間9分0秒で優勝した。自己記録を一気に2分5秒短縮する快走だった。14年4月には恩師の佐藤寿一さんが亡くなったが、同年10月の仁川アジア大会では3位川内選手に次ぐ4位入賞。同年12月の福岡国際マラソンでは自己ベストの2時間8分50秒をマークした。

――月間400~600km走っているとのことですね。

「NTNでは1日1~3回練習をしていました。合宿時は走行距離が増えます。他のマラソン選手は1週間で200kmぐらいの距離をずっと走ってますね。疲れている時も、元気な時も。私も同じように練習をしたら故障してしまったので、それからは自分のペースでやるようになりました。今は一人で練習しています」

――練習のやり方は、若い頃と変わってないですか。

「今はどうすれば早く身体が回復するかチェックしながらやっています。食事も以前より気遣うようになり、回復力も上がっています。どんな場所で練習したら疲れがたまって、どんな地形で走ったら疲れるのか、よく考えて練習しています」

――食事で気をつける点は。

「好き嫌いはないので何でも全部、いっぱい食べます。よく食べるのはモンゴル料理で、肉まんのようなボーズ、揚げ餃子のようなホーショルが定番です。それから、焼きそばのようなツォイワンも手作りします」

――練習で一番長く走るのは。

「40km。来日前には68km走ったこともあります。起伏地をキロ6分から5分ペースで。マラソンの脚作りとして、長く走るとどんな筋肉がつくか試したのですが、ウルトラマラソンの選手ではないので多すぎますね」

――今の40kmのペースは。

「3分40秒からスタートして3分30~25秒で終わる感じです。2カ月のマラソン練習で1、2回くらいですね。東京オリンピックの前は2カ月で4、5回やったのですが、少し疲れが残ったので、回数を減らしました」

――マラソン練習で大事なことは。

「私にとってはスピードですね。スピード練習は主に400mと1kmのインターバルをやります。400mは25~28本。最初の5本はマラソンのペースで、次の10本は少し遅めのペースにして、残りはマラソンより速いペースと変化させます。1kmは12本。ペースは400mの練習の内容を踏まえて設定します。インターバルは、やってみて疲れがさほどなければ、次はペースを上げます。ダメージが大きければ、次はペースを落とします」

――日曜日に行う「トランスフォーメーションランニング」とは。

「ファルトレクのような練習です。1分速く走り、1分ゆっくりを40分。最初の1分はキロ3分20秒のペースで、次の1分は3分30秒のペースです。他の選手たちは、最初の1分を猛スピードで走るのですが、私の目的はスピード練習ではなく、動き作りなのでゆっくり走ります」

バトオチル選手は、21年東京オリンピックで5度目の五輪出場を果たすも、無念の途中棄権。同年9月にはNTNを退部し、その後は三重陸協所属で活動を続け、22年7月に新日本住設WESTに入社した。その後、22、23年の世界選手権代表となって出場回数を11に伸ばし、42歳で迎えた今年2月の大阪マラソンでは2時間10分10秒をマークした。現在は兵庫県の三木市を拠点としている。

――40代でも速い理由は。

「友達や家族、会社の方々のサポートがあるから。みんなの温かい応援が心の支えです。だから練習に貪欲に取り組め、強くなれる。中でも1番の支えは子どもたち。疲れて帰って『パパ一緒に遊ぼう』って言われると、子どもたちのために明日も元気に走ろうと思えるんです」

――お子さんは何人ですか。

「一番上は23歳の長男で、15歳の長女、9歳の次男、5歳の次女の4人です。長男はモンゴルで、長女はイギリスで、あとの2人は日本生まれです」

家族の存在がバトオチル選手のモチベーションになっている



――練習メニューを作る際、参考にしている選手などは。

「やはり亡くなった佐藤さんから習ったものがベースです。日本選手はこれくらい走っている、ということを教えてくれました。いつも佐藤さんの言葉を思い出しながら、練習メニューを考えます。ただ、日本人は1カ月に1000~1200kmも走りますが、それは身体のダメージが大きいので、身体と相談してメニューは考えます。走行距離は少ないのですが、30km走なら10km以降はペースアップして、他の選手よりスピードは上げます」

――パリオリンピックの目標は。

「東京は残念な結果だったので、2時間15~16分の間で走りたい。パリのコースは30km付近の起伏が厳しいので、最後の10kmでいい走りができれば、順位もついてくると思います」

――あと何回オリンピックに出られると思いますか。

「東京はこれが最後と思って走りました。ただ、棄権して悔しかった。2カ月ほどして妻と話し合い、もう1回パリを目指そうと。それで新日本住設WESTに入れることになり、大城真悟代表が三木市にいい練習場所を見つけてくれました」

――いつまでマラソンを続けるつもりですか。

「世界中にいろんなマラソンがあるので、それらを楽しんで走ってみたい。マラソンは22年間走ってきたので、これからもずっと続けたい。日本、ヨーロッパ、アメリカのマラソンを走っていきたいです」

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Ser-Od BAT-OCHIR
1981年10月7日生まれ。モンゴル国ゴビ・アルタイ県出身。

自己ベスト
5000m14分12秒86(2021年)
1万m29分17秒72(2020年)
ハーフマラソン1時間2分10秒(2016年)
マラソン2時間8分50秒(2014年)

オリンピック&世界選手権に16回出場!

03年世界選手権(パリ)63位2時間26分39秒
04年オリンピック(アテネ)75位2時間33分24秒
05年世界選手権(ヘルシンキ)61位2時間36分31秒
07年世界選手権(大阪)55位2時間49分6秒
08年オリンピック(北京)52位2時間24分19秒
09年世界選手権(ベルリン)29位2時間17分22秒
11年世界選手権(テグ)19位2時間16分41秒
12年オリンピック(ロンドン)51位2時間20分10秒
13年世界選手権(モスクワ)35位2時間21分55秒
15年世界選手権(北京)38位2時間32分9秒
16年オリンピック(リオデジャネイロ)91位2時間24分26秒
17年世界選手権(ロンドン)48位2時間21分55秒
19年世界選手権(ドーハ)54位2時間36分1秒
21年オリンピック(東京)途中棄権
22年世界選手権(オレゴン)26位2時間11分39秒
23年世界選手権(ブダペスト)途中棄権


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