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RUNNERS WOMAN

女性ランニング小史

2000年代
高橋尚子時代到来。日本のトップが世界のトップとなった輝かしい瞬間を迎えると共に、その高橋が五輪の優勝インタビューで「とても楽しい42.195kmでした!」と発言したのもエポックメイキングなことだった。『マラソンは楽しい』『走る女性は美しい』という価値観は、女性の健康志向をベースにして世間に一層浸透し、市民マラソン界では皇居ランナーの急増や、「美女ガ―」「ランスカ」の出現に結び付いた。
2000年(平成12年)

<9月>

高橋尚子が、シドニーオリンピックの女子マラソンで圧勝。2時間23分14秒の五輪最高記録を出すとともに、日本の陸上競技では64年ぶり、女子では初めての金メダルを獲得した。

高橋尚子(右端=先頭)はレースの主導権を終始握り、まず17km過ぎで飛び出して集団を崩壊させた後は、トップ争いに残っていた市橋有里やシモンを、さらにあと2回のスパートで一人ずつ振り切った

高橋尚子(右端=先頭)はレースの主導権を終始握り、まず17km過ぎで飛び出して集団を崩壊させた後は、トップ争いに残っていた市橋有里やシモンを、さらにあと2回のスパートで一人ずつ振り切った (c)播本明彦

史上一番ともいわれた難コースを五輪最高記録で駆け抜け、メーンポールに日の丸を揚げた高橋。女子マラソン生中継(テレビ朝日系)は瞬間最高視聴率59.5%という高い数字を記録した

史上一番ともいわれた難コースを五輪最高記録で駆け抜け、メーンポールに日の丸を揚げた高橋。女子マラソン生中継(テレビ朝日系)は瞬間最高視聴率59.5%という高い数字を記録した (c)フォートキシモト

2001年(平成13年)

<9月>

高橋尚子、ベルリンマラソンで2時間19分46秒の女子マラソン世界最高記録を達成。すでに国民的英雄ともいえる高橋の大きな快挙に、前年のシドニー同様、テレビ中継の瞬間視聴率は50%を超え、このニュースに日本中が沸いた。

女性ランナーとして世界で初めて2時間20分を突破した高橋尚子。



女性ランナーとして世界で初めて2時間20分を突破した高橋尚子。このあとのシカゴマラソンで、ケニアのキャサリン・ヌデレバ(2時間18分47秒)によってこの記録は塗り替えられるものの、女子マラソン高速化時代の口火を切った (c)北川外志廣

2004年(平成16年)

<8月>

アテネオリンピック開催。前回のシドニー五輪で高橋尚子が金メダルに輝いた女子マラソンは、野口みずきが2時間26分20秒で優勝を飾った。暑さの中、世界記録保持者ポーラ・ラドクリフも棄権するほどのタフなレースとなったが、野口は詰め寄るキャサリン・ヌデレバを振り切ってゴール。これで日本女子は連覇を果たすと共に4大会連続メダルを獲得し、また土佐礼子が5位、坂本直子が7位と全員が入賞する快挙も達成した。

本命ラドクリフも力を出せなかったほどの暑さと、大理石が混ざっているハードなアテネのコース。野口は高地トレーニングの成果でもある強靭な脚、心肺機能、精神力……と充実した状態で見事金メダルに輝いた (c)北川外志廣

本命ラドクリフも力を出せなかったほどの暑さと、大理石が混ざっているハードなアテネのコース。野口は高地トレーニングの成果でもある強靭な脚、心肺機能、精神力……と充実した状態で見事金メダルに輝いた

2005年(平成17年)

<1月>

2000年1月に第1回大会が始まって以来、年々人気の高まる「谷川真理ハーフマラソン」で参加者が1万人を突破。対人地雷撤去チャリティと銘打って荒川河川敷フルマラソンコース(日本陸連公認)で開催される同大会は、首都圏のハーフマラソンとしての位置付けに乗る一方、谷川真理と有名タレントのトークショーや、チャリティ即売会などのアトラクションも毎年会場の盛り上げにひと役買っている形。

にぎやかで楽しいマラソン大会として知られるようになってきた谷川真理ハーフ。ホノルルマラソンの常連でフルを3時間15分前後で走るタレント・長谷川理恵さんも毎年欠かさず参加している。カリスマモデルといわれた長谷川さんが熱心なランナーであることは、一般女性がランニングに興味を持つきっかけとして決して小さくはない役割を果たした

にぎやかで楽しいマラソン大会として知られるようになってきた谷川真理ハーフ。ホノルルマラソンの常連でフルを3時間15分前後で走るタレント・長谷川理恵さんも毎年欠かさず参加している。カリスマモデルといわれた長谷川さんが熱心なランナーであることは、一般女性がランニングに興味を持つきっかけとして決して小さくはない役割を果たした

拡大を続ける女性ランニングブームの火付け役と言われる長谷川理恵さん。2000年12月のホノルルで初フルマラソンにしてサブフォーを達成してから、現在10年以上の走歴となる。モデルとして多忙な中、東京国際女子への出場を目標としていた当時は、800m×5本のインターバルや20km走などを含めたトレーニングメニューで月間走行距離400kmをこなしていた



拡大を続ける女性ランニングブームの火付け役と言われる長谷川理恵さん。2000年12月のホノルルで初フルマラソンにしてサブフォーを達成してから、現在10年以上の走歴となる。モデルとして多忙な中、東京国際女子への出場を目標としていた当時は、800m×5本のインターバルや20km走などを含めたトレーニングメニューで月間走行距離400kmをこなしていた

<10月>

2000年1月に第1回大会が始まって以来、年々人気の高まる「谷川真理ハーフマラソン」で参加者が1万人を突破。対人地雷撤去チャリティと銘打って荒川河川敷フルマラソンコース(日本陸連公認)で開催される同大会は、首都圏のハーフマラソンとしての位置付けに乗る一方、谷川真理と有名タレントのトークショーや、チャリティ即売会などのアトラクションも毎年会場の盛り上げにひと役買っている形。「2000年代」 coming soon. 東京都千代田区神保町に「ランナーズステーション」オープン。皇居ランニングをサポートする施設としてマスコミでも話題となる。各スポーツメーカーやフィットネスジムも同様の事業展開を後追いし、2、3年の間に10数か所の乱立状態に。

2007年(平成19年)

<2月>

3万人が参加する日本国内初の大都市フルマラソン、東京マラソン開催。コースは、東京都庁舎前のスタートから、銀座や浅草といった都内の名所を走り抜け、有明の東京ビッグサイトにフィニッシュする設定。制限時間7時間。海外の大都市マラソンのような大型マラソンEXPOや、長時間のテレビ中継、経済波及効果300億円以上といった話題と人気を呼び、その後の大阪マラソンや神戸マラソンなど他都市での大規模大会の実施と、全国各地に影響を及ぼした。

<2月>

アメリカ西海岸が発祥の地だと言われる(が定かではない)ランニングスカート、「ランスカ」が日本でもブームになる。ランニングシーンを華やかにするおしゃれなアイテムとして人気を博し、先の東京マラソンEXPOでもスポーツメーカーの各ブース、各レディースコーナーで並べられた。ランナーズ本誌でも表紙モデルがしばしば着用。
ランニングシーンでの「ランスカ」人気は同じアウトドア業界に飛び火したようで、この1年後には「山ガール」を耳にするようになる。

2008年(平成20年)

<9月>

女性ファッション誌「FRaU(フラウ)」で『走る女は美しい』特集。「美女ガー」という言葉を生んだ。東京マラソン開催の前後には、こうしたスポーツ専門誌外でも「走ること」が度々取り上げられ、2006年には同じく人気女性誌の『STORY』でホノルルマラソンに挑戦する企画も。同誌編集長と読者のチャレンジを追う記事が掲載された。

東京マラソン開催の2年前である2005年頃から「第2次ランニングブーム」の兆候はあった。経済力と自立心のある30代40代女性たちが、「自分の健康は自分で守る」」という意識のもとにアクティブに走っているのである(第1次ランニングブームは、1979年の第1回東京国際女子マラソン開始当時)

女性ファッション誌「FRaU(フラウ)」で『走る女は美しい』特集


ランニング初心者集まれ